◆「NEWSLETTER 第11号」2000年7月発行◆
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◆目次◆
<報告記>
- 第6回WPJ総会報告
- WPJ講演会報告
- ワークショップ、グループデイナー印象記...小田ー望月 紀子
<特集>「姓の変更と女性研究者」
結婚、離婚、再婚の度に姓を変更するのは女性の側が一般的です。論文著者名、学会発表時の著者名を、その都度変更すると、別人の論文と受け取られてしまい、キヤリア形成が難しくなります。かといって旧姓を使い続けたくても、通称姓(旧姓)の使用は社会で認められておらず、科研費は戸籍姓で申請しなければなりません。大学や研究所の職場では、戸籍姓を名乗るよう仕向けられます。一方、肝腎の夫婦別姓法案は、いまだに国会を通過していないのです。女性研究者はいま、周囲を取り巻く法制上の不備、慣習上の大きな壁に阻まれて、不自由にもがいています。その中で、研究者としての自分をいかにidentifyして行くか、これは私たち共通の大きな問題です。
そこで11号では、本会会員の中から、勇気ある挑戦を続ける幾人かに登場戴き、特集記事にまとめました。
1) ハイフンで新旧姓を繋ぐ表現をとっている方
2)職業姓と戸籍姓のダブルネームを使い分けている方
3)論文著者名だけに旧姓を使用し、職場では戸籍姓を名乗る方
4)論文著者名だけでなく 職場でも旧姓を名乗り続けている方
にお話を伺い、それぞれの方式に伴う混乱と、それを如何にして切り抜けたかなど、賢い対処の仕方を伺いました。米国の研究者はこの問題をどう切り抜けているのだろうか、米国社会におけるsocialsecurity number 上の取り扱いについて、米国大学教授にうがいました。
女性研究者の通称姓(旧姓)使用については、日本学術会議から先月6月8日に出された「女性科学者の環境改善の具体的措置について要望」にも折り込まれていて心強い事です。しかし要望書もさる事ながら,姓の変更が女性のキャリア形成に如何に不利であるか, 個々の女性研究者が具体的な例をもって周囲に働きかける力が, やがて大きく社会を変化させるものと信じ、特集に取り上げました。(東京医科歯科大 半場 道子)
<私の研究遍歴>
「会員便り1」海外の女性研究者から教えられたこと( 本間さと(北海道大学大学院医学研究科統合生理学講座))
- アメリカ女性研究者の研究に対する熱意とアメリカの研究体制、ヨーロッパ女性研究者との具体的な会話を交えてのお話は国外の女性研究者の考え方や実状がよくわかります。そして本間先生が生理学女性研究者の会(WPJ)に期待することとして「男性と同様に研究・教育に力をそそぎながら、ポジションや家庭の負担などで圧倒的なハンディをもつ私たち女性研究者が、励まし合い、助け合える機会をもたらすもの」と書かれています。私事ではありますが、ワークショップ等のWPJ
の活動に参加させていただいている私にとって、WPJは本間さんの書かれている通りの活力を与えてくれる会です。これからもっともっとすばらしい会に発展することと期待しています。(長崎大 藤山理恵)
「会員便り2」>私が経験した2つのポスドク制度(金子 優子(理化学研究所 脳科学総合研究センター 研究員))
- 大学院出たての新米研究者にとって研究費の取得は大変難しいことです。そこで、私が経験した研究費付きポスドク制度をご紹介します。なお、応募時期、究費額などは当時のものなので現状については対応事務にお問い合わせください。
- 学術振興会特別研究員(学振PD)制度
- 日本学術振興会が運営しているポスドク制度です。対象は人文・社会科学・自然科学の博士号取得者(採用時34歳未満)で、採用予定は全分野で約200名(H7年当時)です。研究費は年額約150万交付されます。給料は研究奨励金として支給されます(H7年28万、H8年30万)ので各種社会保険はつきません。個人で国民年金、国民健康保険に加入する必要があります。育英会奨学金は免除対象にはなりませんが返還猶予申請ができ、終了後免除機関へ就職できれば免除申請が出来ます。受け入れ先は大学をはじめとする文部省系列に限られており、他省庁の研究機関は入りません。もっとも受け入れ先との打ち合わせ次第で,別の機関との共同研究や短期の留学なども可能なようです。採用期間は当時2年でした。3月に次年度4月採用の募集要項が配布され6月締め切り、採用決定は10月下旬でした。
- 科学技術特別研究員(科技PD)制度
- この制度はかつての科学技術庁の特別研究員制度がJSTに委託されたもので、受け入れ機関は自然科学系の研究を行っている国立試験研究機関等で、文部省管轄の機関は含みません。応募資格者は採用時に35歳未満の博士号取得者で、採用者は各年度約110-150名です。学振PDの場合と同様、受け入れ研究室側の承諾なしでは申請出来ません。5月始めに応募し6月頃に各研究機関で面接があります。この面接は各研究機関での内部選考の意味を持ちます。その面接結果とともに応募書類がJSTに送られ書類選考が行われます。最終結果は9月頃出ました。研究費は年額130-150万で受け入れ機関に交付されます。学振PDとの大きな違いは、科技PDは基本的に事業団の研究職員という形になることです。そのため本給約31万(当時)の他に、期末手当、通勤手当など各種手当て、健康保険、厚生年金など各種社会保険がつきます。さらに年額10万の旅費が支給されるので学会へも積極的に参加できます。採用期間は1年更新の最長3年間です。育英会奨学金は免除対象ではなく、その後の免除申請も出来ません。返還猶予申請だけは出来るようです。
- 申請の際に研究所内で面接があることもあり国立研究所内での科技PDの存在は認められており、大変過ごしやすく、研究に集中でき成果を上げることができました。ただこれも受け入れ先研究室、指導責任者の方針に大きく左右されるようです。事業団の研究職員という形になっているとはいえ、その後の就職先を紹介してくれるわけでもないので,やはり不安定感は大きいです。受け入れ先研究室との綿密な打ち合わせと相互理解が非常に重要です。
- どのような研究をするかというのが最も重要ではありますが、しかし、「仕事」として責任もって研究を遂行するには、生活面・健康面・精神面の充実は大変重要ではないかと思い、雇用条件なども細かく紹介いたしました。育英会は多くの方が利用していると思いますが, 免除条件は現状の就職事情では厳しいものです。免除機関に就職希望であってもなかなか難しく、かといって一度免除機関以外に就職してしまうとその後の如何に関わらず返還しなければなりません。大学の講師や助手の職も期限付きである場合もあり、返還免除が当然という時代は終わってしまいました。将来的には返還・免除の仕方も変わるでしょうが,今現在の若手研究者にとっては大きな問題であると思います。若手研究者の方々、若手研究者を抱える研究室の先生方にもその辺の事情を踏まえた上で参考にしていただければ幸いです。(要約 金沢大 多久和)
「会員便り3」カロリンスカ研究所留学の思い出(国際医療福祉大学,黒澤美枝子)
- アメリカ留学の記事はあるのに,ヨーロッパ留学の記事がないので,記憶が大分薄れてしまったのですが,スウェーデン留学の思い出話を書かせて頂きたいと思います.
- 私は,1989年の冬期半年間と1994年から1995年にかけて約1年間の2度,スウェーデン・ストックホルム市にあるカロリンスカ研究所に留学いたしました.ストックホルム市は北緯約60度に位置しますが,バルト海を流れる暖流のおかげで,寒い時でもせいぜい−10℃くらいで,気温の面からは地球儀で眺めるほど北に位置しているという感じはありませんでした.ただし,北の地であるだけに,年間の日照時間の変化は甚だしく,1週間に30分ほど長くなったり短くなったりします.冬の間は,朝8時だというのに真っ暗の中を出かけ,夏は夜11時でもまだ薄明るい中を歩ける,そんな所でした.それをストックホルムの人たちは積極的に楽しんでいるように思われました.短い夏の間は執拗なまでに太陽の下で過ごし,長い夜の続く冬の間は室内をろうそくで飾って過ごしていました.日常の生活は,スウェーデン人は英語がとても上手なので,ほとんど支障なく過ごせました.スーパーのレジのおばさんまでもが語を理解してくれたのは感激でした.
- カロリンスカ研究所は研究所とはいうものの,カロリンスカ医科大学ともいうべきものであり,通りを挟んで建っているカロリンスカ病院と周辺の幾つかの大病院を併せて大きな研究・教育機構を形作っていました.カロリンスカ研究所は,ノーベル生理医学賞の選考委員会があるので有名で,カロリンスカ研究所の教授の中から50名ほどがノーベル賞の選考委員に選ばれるようでした.ノーベル賞の授賞式の前には受賞研究者たちがカロリンスカ研究所の学生向けに講演会を行い,受賞研究内容を非常に噛み砕いてわかりやすく説明します.その講演会がとてもアットホームな雰囲気の中で行われるのが印象的でした.質の高い研究に日常的にさらされるカロリンスカ研究所の学生をとてもうらやましく思いました.また、カロリンスカ研究所では日常的に部門を越えた共同研究が行われており,それぞれのエキスパートが簡単に話し合って共同研究を組むのをとてもうらやましく思いました.そして私自身もそのような共同研究に入れて頂けて,とてもstimulatingな半年間の留学でした.
- 2回目の留学は,Uvnas-Moberg助教授の所へ行かせていただきました. Uvnas-Moberg助教授は女性で,ご自身の出産育児の体験から,子供と母親との皮膚の接触とそれによって起こる内分泌機能や消化管機能の変化に関する研究をされておられました.2回目の留学では,マッサージ様の皮膚刺激をラットに加えた際に起こる鎮静反応の機序を検討する仕事をさせて頂きました.
- 私がUvnas-Moberg助教授の下に留学していた頃,彼女は教授選に苦労していた時期でもありました.博士を取得する女性の割合は多いのに(日本より遙かに多い印象でした.少なくとも私の周りを見渡す限り,男女比は同じ位に思えました),助教授,教授となる女性は非常に少ない,といつもおっしゃっておられたのを思い出します.実際,6年前,カロリンスカ研究所の生理・薬理学部門には12人の正式な教授がおられましたが,全員男性でした.そして,全員男性の教授であるというのは現在も変わっていないようです.結局,彼女はウプサラ大学の教授になりましたが,女性の就業率が世界でも飛び抜けて高いスウェーデンにおいても女性の教授が少ないのが現実のようです.スウェーデンという国では,家事においても,社会生活においても男女平等の考え方が非常に発達しているように見えたのに,なぜ?と今さらながらに思います.(要約 金沢大 多久和)
<事務局より>