このファイルは、WPJ-NL.22からの転載です!

「研究者を女房にもって」
    名古屋大学大学院理学研究科  生命理学専攻  小田洋一
  本年5月20日,仙台で開かれた第82回生理学会大会の男女共同参画推進委員会シンポジウム「男女共同参画の過去,現在,そして未来に向けて」において,オーガナイザーの水村和枝先生から与えられた上記タイトルでお話をさせていただきました.タイトルをいただいて,問われていることは「研究者を妻にもってどうやってきたか?」であろうと考え,我が家の24年間を赤裸々にお話しすることにいたしました.

  まず,自己紹介を兼ねて,私と妻(小田−望月 紀子)の経歴をお話しました.私は1981年に大阪大学基礎工学部の助手になって以来,昨年まで大阪大学に所属し講師・助教授を務め,1回の留学や恩師が飛行機事故で亡くなった以外は,ほぼ同じ環境で23年間過ごしました(最後の3年間のみ生命機能研究科に所属).それに対して,妻は大学院修了後1983年に三菱化成(現,三菱化学)生命科学研究所のポスドクとして働き始めて以来,期限付きのポジションを2〜3年ごとに渡り歩いてきました.毎年2月頃になると,もう研究を続けられないかもしれないとの心配が食卓の話題になりました.ここまで文字通り首の皮一枚でなんとか仕事を続けられていますが,そのたびに研究テーマを変えねばなりませんでした.そういう妻と一緒にいながら考えさせられるのは,「もし自分が女性だったら,このような状況に耐えて,研究を続けられるだろうか?」です.大学に女性が入学するのすら難しい50年前とは異なり,今では女性が大学院に進み,研究を続けること自体は男性とほぼ同等(最近ではむしろ女子大学院生の方が男子よりずっと優秀だとあちこちでささやかれます)に出来ると思いますが,ポスト(特に常勤)を得ることの難しさが依然として存在し,欧米の状況とも大きくかけ離れています.たとえば,私の所属する研究科では65名の職員のうち,女性はわずか3名です.もうひとつの大きな問題は育児の負担でしょう.もし私が女性で何とか職を得たとしても,果たして子供を持って研究を続けられるか?はそれこそやってみなければわからないし,男性の私の想像をはるかに超える苦労を伴うのではないかと考えます.育児と研究を両立させる難しさ,特にわが国の女性研究者(一般的に女性労働者に当てはまるでしょう)が味わう苦労や理不尽さは昔からあまり変わっていないように思えます.

  我が家も最初は子供のいない家庭のままで暮らしていく予定でしたが,私がどうしても希望して,結婚7年目(夫37歳,妻32歳)のときに第1子が生まれ,その3年後に第2子が生まれました.待望の子供が生まれるというのに,私は最初まったく認識不足でした.職場と住まいは近いほうがよいという発想から,今では信じられないことですが,夫婦別居して妻が働きながら子供を育てるという計画を,まともに考えていました.そのために保育所を探していたとき,応対にでた保母さんに「とんでもない!」とさとされました.妻は妊娠9ヶ月のおなかを抱えて,近郊の市の中で一番保育行政のしっかりしている吹田市に住むことを決めました.が,年度末の申請では公立保育園に入ることもかなわず,無認可の共同保育所に入所を決め,保育所から眼と鼻の先のアパートに転がり込むように引っ越しました.古くて狭いマンションの一室が共同保育所でした.その共同保育所の保母さんや同じように新生児を預けていたお父さんやお母さんに,さまざまなことを教えられ,我々の子育てが始まりました.市役所に嘆願書を出しに行って,1年後にようやく公立保育園に入ることができました.突き詰めて言えば家事や育児に男も女もなく,「出来る人が出来ることをする」のが原則であることを学びました.私の場合は,保育園への子供の送り迎え,授乳,洗濯,掃除や皿洗いなど,自分の出来る家事を見つけて,どんどんやりました.洗濯や皿洗いなどは慣れると水遊びの延長に思えるようになります.妻は主に料理を担当し,買い物は一緒に行きました.私は家事に加えて,マンションの理事や保護者(父母)会の役員などの対外的な仕事および子供学校の懇談会なども担当しました.こうやって自分としては出来る限りのことはしてきたつもりですが,「夫婦の負担が50:50か?」という自問してみると,答えは「No」.「40:60くらい?」と妻に聞いてみたいところですが,厳しい答えが返ってくる可能性もあります.夫婦が家事・育児に協力しながら研究をしていくための一つの秘訣は「職・住・育の接近」です.「職住接近」は私の恩師の塚原仲晃先生(故人,大阪大学名誉教授)が,私達が結婚するときにいただいた助言です.職場に近いところに住んで,通勤時間を出来るだけ短くして仕事に没頭せよとの趣旨でした.共稼ぎで子供がいる場合にはこれ保育園が加わります.もちろん夫婦ともその条件をそろえるのは至難のわざですが,少なくともどちらか一方は職場の近くに住居と保育園を見つけることです.

  さて,研究者に限らず共稼ぎの夫婦にとって子育てにおける最大の問題は,子供の病気でしょう.子供は必ず病気に掛かります.ちなみに我々の長男は0歳のときの欠席日数が46日でした.ほぼ2週間に1回病気になり,毎回2〜3日休んでいたことになります.子供が病気になったときは,完全に治るまで親が仕事を休んで横にいてやれば一番良いのですが,そのたびに休んでいては「病院で預かってもらえないんですか?」などと職場で言われるようになります.そこで真っ先に助けに呼んだのは,我々の両親(特に母親)でした.電話をするとそれぞれ神奈川県と静岡県から新幹線で大阪まで駆けつけてくれました.1週間近く病気が回復しないこともあり,母親が途中で交代して看てくれたこともありました.しかし,年老いた母親にはだんだん負担が大きくなり,私の母は我々の共働き自体に反対の意見を述べるようになり始めました.私の母は基本的にはいわゆる専業主婦でしたが,家で細々と近くの子供達に英語を教えていて,その姿をずっと見てきた私は,きっと状況さえ許せば母はバリバリ働きたかっただろうなあと思って育ってきたので,この母の言葉にはとてもショックでした.

  母達に頼らずやっていくために次にとった対策は,ベビーシッターさんに頼むことでした.良心的な派遣会社をさがして何人かのシッターさんに来てもらいましたが,安心して任せられるのは一人だけでした.その人を指名して予約をしますが,先約があって頼めないことが次第に多くなりました.そこで最後にとった手段は,夫婦で昼夜交代制働きながら,一方が病気の子供を看ることにしました.具体的には,妻が早朝から夕方まで研究所で働き,その間私が病児を医者に連れて行ったり,家で一緒に過ごしました.夕方,帰ってきた妻と交代し,私は大学へ出かけ翌朝まで働き,早朝また妻と交代しました.こうすると実労時間を普段とあまり変わりなくとることが出来ます.もちろん,私のほうは夕方から仕事を始めるというまわりから見れば異常な状態ですし,授業など変更不可能な事態のときは,調整が必要でした.このようなやり方で何とか切り抜けられたのは,一緒に実験した学生や同僚や上司など職場の理解が不可欠でした.逆に言えば,こういうときに病児保育があればどんなに助かっただろうと思います.せめて一応熱が下がった回復期だけでも預かってくれる場所があれば,子供達が病気から回復するときにしっかりからだを休められるのにと思いました.

  今振り返ってみると,二人の子供が小学校に上がるまでの延べ8年間は,確かに苦労が多かったと思います.しかし,同時に子育ての最も楽しい時期でもありました.「こどもが出来たら10年間は開店休業でもいいから続けることが大切です」とおっしゃった妻の恩師の大沢文夫先生(大阪大学および名古屋大名誉教授)の言葉を支えに,続けてきました.保育園に子供を預ける人は,ほとんどがこれまでお話をする機会もないようなまったく異なった職種で働いておられるのですが,それぞれの職場での努力や子育てに対する思いは同じで,有言無言にお互いに心で励ましあっていたように思います.我々が研究でしんどいといっても,一般社会ではもっとしんどいことがたくさんあることも知りました.子供達も親の奮闘する姿を視野の片隅で見ながら,保育園中心の生活は実に楽しそうでした.

  子供たちが小学生になると,子育ての負担が少なくなったと実感できるようになりました.さらに10年たつと,子供たちは心身ともにたくましくなってきます.我が家では息子が親よりずっと大きくなりましたし,高校生になった娘はスキーのインターハイや国体の選手になってしまいました.その娘のラスト・ラン(ノルディックスキー大阪大会)を見に行き,優勝した力強い走りに子育ての17年間がダブって・・・感動を覚えました.

  最後に,妻であり母である女性研究者にとって,今何か必要か?を私なりに考えてみました.突き詰めて言えば「周囲の理解」と「機会の均等」でしょう.「周囲の理解」とは,夫の理解にはじまり,家族(父母,子供)・上司・職場・学会・社会の理解でしょう.上司以降の仕事上の周囲の中には,夫の上司や夫の職場も入ります.学会の理解の中には「学会中の保育室の完備」などもありますし,今後検討されることが期待される子育てのために今までと同じように研究できにくくなった女性研究者への支援が考えられます.社会の理解とは,育児休業や看病休暇の制度などです.また,「機会の均等」に関しては,まずは大学などの研究機関で現在5%にも満たない女性教官の数を,少々無理があっても引き上げる必要があるでしょう.一方で,学会のオーガナイザーやシンポジウムの座長のように,学会運営に女性研究者自らが積極的に参加する必要があると思います.海外での学会の様子を思い出していただければ,わが国の現状が極めて異常であることに気づかれることでしょう.

  研究者夫婦がどうやって研究と家事をこなしてきたかを,我が夫婦の場合に関して恥を忍んでご紹介しました.おそらくそれぞれの夫婦でやり方は異なり,解決策もひとつだけではありません.もっと賢明なやり方もあるでしょう.「子育て支援」などというキャッチフレーズが聞かれるようになりましたが,まだまだ現状では各夫婦の工夫と努力が必要であることも事実です.しかし,ひとつだけはっきりいえることは,苦労の分だけあるいはそれ以上の喜びがあることでしょう.この拙文を終えるにあたり,私達の結婚式で主賓の大沢文夫先生からいただいたお言葉をご紹介します.「夫婦は最後にならしてみて,まあまあがいいですね」.研究者に限らずすべての夫婦に当てはまるでしょう.

男女共同参画推進委員会シンポジウムTOP